旧会津街道石畳
江戸時代、会津街道は会津と越後を結ぶ幹線道路でした。会津若松から鳥居峠を越えて津川に至り、阿賀野川を渡り北に向かい、諏訪峠から行地、綱木、赤谷を経て新発田まで通じていました。
寛文年間(1661〜1672)の会津藩による街道整備の際に、諏訪峠越えの坂道が全て石畳の道に改められました。今も角島集落から諏訪峠まで断続的に石畳路が残り、当時の街道の面影を残しています。道幅約2メートル、花崗岩の割石や自然石を敷き、急な坂道の箇所には石を階段状に敷いて道が崩れるのを防いでありました。
この街道は、江戸時代の新発田・村上両藩の殿様が参勤交代の際に通った道であることから、「殿様街道」という別名もあります。
文人墨客や庶民の利用も多かったと言われています。文化11年(1814)峠越えをした十返舎一九は「あいづよりゑちごしばたまでいたるかいどうのうち、このとうげほどたかくなんぎなるはなし」(『金の草鞋』)と記しています。
街道沿いの福取集落の入り口、柳新田から峠に至る途中、峠を北に下り行地に至る途中には、2個一対の一里塚が完全な形で保存されています。石畳の残る近世の街道と一里塚がセットで保存されているのは、県内では既にこの地域だけになってしまいました。
旧会津街道石畳詳細
- 種別:町史跡
- 名称・員数:旧会津街道石畳
- 指定年月日:平成17年4月1日(旧津川町指定:昭和51年2月6日)
- 所在地:角島、京ノ瀬(津川地区)
社会教育課
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更新日:2021年06月01日