津川河港
狐の嫁入り屋敷から旧麒麟橋附近にかけての一帯は、川港となっていた所です。
江戸時代、津川は会津藩の西の玄関口でした。会津藩は物資を会津若松から津川までは会津街道で陸路輸送し、津川から新潟までは阿賀野川の水運を利用していました。つまり津川は水陸輸送の中継地であり、運上金や塩の専売による収益金が得られることから藩にとっては経済上重要な港でした。
会津からの廻米、会津塗、煙草、薪炭、木材などは津川で船積みして新潟へ運び、新潟からの塩、海産物、綿布などは陸揚げして会津に街道輸送しました。
船着場は「大船戸(大船場)」と呼ばれて150隻もの帆掛け船が発着し、船荷を積み下ろしする丁持衆が100人も働いていました。その近辺には船番所、藩の米蔵、塩蔵、蝋蔵、物産問屋などが立ち並んでおり、活気に満ちたこうした状況から「日本三大河港」と称されていました。
明治になってからは三方道路が開削され、越後まで阿賀野川沿いに道路が開通しました。しかし物資の輸送には船のほうが効率的であったため、大船戸の90メートル下流に水量の増減に対応できる新しい「新河戸」が建設され、水運が活用されていました。
しかし鉄道の開通や自動車輸送の発達により衰退を余儀なくされ、さらに下流のダム建設により港としての機能を失いました。
津川河港詳細
- 種別:町史跡
- 名称・員数:津川河港
- 指定年月日:平成17年4月1日(旧津川町指定:平成13年1月31日)
- 所在地:阿賀町津川
社会教育課
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更新日:2021年06月01日