福取と柳新田の一里塚
江戸時代、慶長9年(1604)江戸日本橋を起点として東海道・東山道・北陸道に、旅程の目安となるとともに木陰で休息のとれる一里塚が設けられました。
会津街道の一里塚の設置は寛文7年(1667)から行われ、若松城下から一里ごとに道の両脇に一対築かれていきました。
福取の一里塚は、福取集落の東の入り口にあり、大きさが直径4メートル、高さ3メートル。現在は道路の勾配を緩くするため道路を掘り下げたので、切り通しの両側の杉林に囲まれて高く見えますが、塚自体は2個一対で当時のままの姿を残しています。
柳新田の一里塚は、柳新田集落から約1.5キロメートル登った旧会津街道の諏訪峠への道筋に2個一対で残されています。大きさは直径約2メートル、高さ約1.5メートル。昭和45年頃、東北電力の鉄塔やNTTのアンテナ建設のため自動車道路が開削されましたが、幸い一里塚を迂回することになり、昔のまま残されました。
県内には千対近くの一里塚があったと言われていますが、そのうちで原型を留めているのは8箇所。津川地区に2箇所と、三川地区に1箇所(行地)の計3箇所が町内には残されています。
福取と柳新田の一里塚詳細
- 種別:町史跡
- 名称・員数:福取の一里塚2基、柳新田の一里塚2基
- 指定年月日:平成17年4月1日(旧津川町指定:昭和51年2月6日)
- 所在地:阿賀町福取・京ノ瀬(津川地区)
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更新日:2021年06月01日